ヘレンド あつらえの器 ~ヘレンドと万国博覧会~ 第二話

あつらえの器 ~ヘレンドと万国博覧会~

ヘレンドに製陶所(以降へレンド)を開き、磁器作りへの挑戦も始めたヴィンツェ。資金繰りに苦しむ彼の前に現れたのは。

「さまざまな商いを経て、製陶所を経営していたユダヤ人のモール・フィシェル。1839年、その製陶所の賃貸契約が切れたところにヘレンドの話を知る。彼は最初は資金援助をしていたようやが、結局ヘレンドを買収する形になった。

昔からヨーロッパの国々は、ユダヤ人の職業や居住地などを制限したり、逆に保護政策をとったりの繰り返し。その頃のハンガリーでも、職業の制限や事業所の所有を認めないなどの制限があったが、1840年に法律が改正される。

しばらくは現場を仕切っていたヴィンツェやったが1841年、ヘレンドを去り、名実ともにモールがヘレンドを担っていくことになったんや。彼はクリームウェアの製造と並行して有能な技術者を招いたり、ボヘミア(現在のチェコ共和国)の磁器の中でも質・人気ともに高いブランドの作品を模倣したりしながら、磁器の製造技術を極めていった。

オーストリア政府による自国産業の保護や高関税率などで、ハンガリーの産業は低迷。オーストリアからの独立をめざす政治家たちは国の産業を盛り立てようと、1842年に第1回ハンガリー産業博覧会を立ち上げた。ヘレンドは、念願だった『帝室・皇室認可磁器製作所』として出展したんや」。  つづく

【構成・執筆・編集・デザイン:大山崎リトルプレイス 
【大 山崎リトルプレイスについて】私たちノーブルトレーダース(株)の本社は京都にあり、大山崎町は会社設立の原点の場所でもあります。その町で活 動をされている大山崎リトルプレイスさん。町や生活に関する情報をはじめ、近隣地域で活動をしている会社や人々を取材され「大山崎ツム・グ・ハグ」という フリーペーパーを毎月発行されています。その中で多くの人々に陶磁器の魅力を知っていただきたいと始まったのが窯にまつわるコラム「ル・ノーブル亭主の徒 然なるままに」です。