ウェッジウッド「女王陛下の陶工と呼ばれた男」Vol.2

『女王陛下の陶工』と呼ばれた男
― 天ハ自ラ助クル者ヲ助ク ―

29歳ジョサイア、会社設立

亭主様、父親の死、天然痘による足の後遺症、共同経営の失敗と、災難が続いたジョサイアでしたが、立ち上がっていったんですか?「もちろん!彼が次に向かったのは、35歳で実力のある陶芸家との共同経営。彼の名はトーマス・ウィールドン。懐の大きい男で、陶芸の技術はもちろん工房の経営も教え、ジョサイアが個人的に研究することも許したんや。1759年、ウィールドンとの5年の契約を終えたジョサイアは叔父からお金を借り、従弟で腕のある陶工トマスを職人として雇い、地元で自分の工房を持った。『ウエッジウッド社』の始まりや。

まず取り掛かったのは、カリフラワーやパイナップルなど野菜や果物の形を取り入れた陶器。この形の器はすでにマイセンなどが磁器で作っていたが、ジョサイアは、地元の土を混ぜた乳白色の素地「クリームウエア」でポットや茶入れを作り、自ら開発した透明度の高い緑と黄色の釉薬で色付けした。ちょうどこの頃、風景や花模様などの絵柄を銅板に彫り、インクを塗って紙に印刷。それを器に貼り転写する銅板転写という技法が開発された。ジョサイアは、さらになめらかさと白さを求め改良したクリームウエアの食器に、この技法で印刷し販売した。この2つの目新しく、磁器より丈夫で安価な陶器は、磁器を手に入れられなかった階級の人たちの間で人気となったんや。銅版転写会社への仕事の依頼や材料の買い付けなどでリバプールをよく訪れていたジョサイアは、そこで生涯の友で、ビジネスパートナーとなる男と出会うんや」。    つづく

【編集・デザイン:大山崎リトルプレイス 大山崎ツム・グ・ハグ2017年Vol.17

【大山崎リトルプレイスについて】私たちノーブルトレーダース(株)の本社は京都にあり、大山崎町は会社設立の原点の場所でもあります。その町で活 動をされている大山崎リトルプレイスさん。町や生活に関する情報をはじめ、近隣地域で活動をしている会社や人々を取材され「大山崎ツム・グ・ハグ」という フリーペーパーを毎月発行されています。その中で多くの人々に陶磁器の魅力を知っていただきたいと始まったのが窯にまつわるコラム「ル・ノーブル亭主の徒 然なるままに」です。