ウィーン磁器工房アウガルテン 「ハプスブルク家とお茶碗と砂糖菓子」Vol.4

今回はそもそもカップには取っ手がついていなかった、というお話しです。

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上でご紹介した写真の形のティーボウルがヨーロッパに取り入れられた初めてのカップの形だとされています。ちなみに、ソーサーは後になってからセットで使わ れるようになったとされています。カップの歴史はお茶の歴史と密接に関わっており、中国や日本からお茶が輸入され始めると同時に湯呑茶わんもヨーロッパの 文化に入ってくるようになりました。

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【テキスト版】ル・ノーブル亭主の徒然なるままに
ーハプスブルク家とお茶碗と砂糖菓子 Vol.4-

亭主様、カップに把手(ハンドル)は付いてなかったんですか?

「そう、最初はな。ヨーロッパでは生水が飲めないため、老若男女、飲み物はもっぱらワインやビールなどのアルコール系。そこへお湯で淹れ、安全で楽にもなるというココアやコーヒー、お茶が17世紀以降、植民地や中国・日本から入り広まっていった。ヨーロッパの人たちは、お茶(紅茶はもう少し後)と共に入ってきた透き通るように薄く白く軽くて丈夫、エキゾティックな絵柄が施された中国や日本の湯飲み茶碗(ティーボウルと呼ばれた)に惹かれ、どの飲み物もその茶碗に注ぎ楽しんだ。

それまで熱い飲み物がなかったヨーロッパの人たちに茶碗は持ち続けにくく、そこで茶碗と一緒に入ってきた同じ柄の深めの皿(ソーサー)に移し冷ましながら飲み始めた。

マイセン工房、続いてウィーン磁器工房が白磁焼成に成功すると、把手付きカップも登場。その形も飲み物によって変わり、コーヒーカップに最初に把手を付けたのがマイセン工房かウィーン磁器工房と言われている。シュテルツェルたちのように同じ時期にマイセン工房を行き来した職人がいるから、どちらが最初に把手をつけたか、わからんようになったんやないかと思うんや。把手付カップができてからもしばらくは、ソーサーで飲む作法は続き、コーヒーカップが流行し始めるのは、18世紀後半から。次第にカップに直接口をつけて飲むようになり、ソーサーは浅めになっていったんやな。

さて、ウィーン磁器工房にはある期日が迫ってきていた。・・・また次回に話そう。」

【編集・デザイン:大山崎リトルプレイス 大山崎ツム・グ・ハグ  2016年 Vol.4
【大 山崎リトルプレイスについて】私たちノーブルトレーダース(株)の本社は京都にあり、大山崎町は会社設立の原点の場所でもあります。その町で活 動をされている大山崎リトルプレイスさん。町や生活に関する情報をはじめ、近隣地域で活動をしている会社や人々を取材され「大山崎ツム・グ・ハグ」という フリーペーパーを毎月発行されています。その中で多くの人々に陶磁器の魅力を知っていただきたいと始まったのが窯にまつわるコラム「ル・ノーブル亭主の徒 然なるままに」です。