ウェッジウッド「女王陛下の陶工と呼ばれた男」Vol.1

『女王陛下の陶工』と呼ばれた男
― 天ハ自ラ助クル者ヲ助ク ―

亭主様、今月から始まるお話は?

「父を早くに亡くし、学校には3年しか行けず、そのうえ天然痘で右足に障害を負い、のちに切断。そのような度重なる不運もものともせず、陶工職人から技術者・デザイナー・企業家と何役もこなし、世界で名だたる英国陶磁器メーカー『ウェッジウッド』を作ったジョサイア・ウエッジウッド(以降ジョサイア)の話をしよか。

ジョサイアは、1730年、イギリス・スタッフォードシャーにある陶芸のまちで、3代続く陶窯の家に13番目の末っ子として生まれた。

6歳になると7マイル離れた学校へ喜んで通っていたが、9歳の時、父が死去。ウエッジウッド家はあまり裕福ではなく、ジョサイアは学校を辞め、窯を継いだ兄トマスの下で働きながら、陶芸を学んだ。

12歳の頃、天然痘にかかり、右ひざに後遺症が残ってしまう。足で蹴って回すろくろの時代、足のけがは陶工には致命傷。しかし彼は努力家で、練習を重ねたんやろう、人並み以上に回せるようになっていったんや。

14歳の時に、兄と5年の徒弟契約を結び、さらに技術を身につけるんやが、その間に再び右ひざが悪化。ついにろくろを回すことができなくなってしまったんや。しかし、ジョサイアはめげることなく、職人を雇い、陶磁器工房を開くことを目指すようになった。

兄との契約が終了し、共同経営を申し込んだが断られたようや。その後、地元を離れ、知人と共同経営を始めたが2年で解消。なんとも不運続きのようにみえるが、これがバネとなったのか彼は突き進んでいくんや」

つづく

【編集・デザイン:大山崎リトルプレイス 大山崎ツム・グ・ハグ2017年Vol.5】

【大山崎リトルプレイスについて】私たちノーブルトレーダース(株)の本社は京都にあり、大山崎町は会社設立の原点の場所でもあります。その町で活 動をされている大山崎リトルプレイスさん。町や生活に関する情報をはじめ、近隣地域で活動をしている会社や人々を取材され「大山崎ツム・グ・ハグ」という フリーペーパーを毎月発行されています。その中で多くの人々に陶磁器の魅力を知っていただきたいと始まったのが窯にまつわるコラム「ル・ノーブル亭主の徒 然なるままに」です。