ウィーン磁器工房アウガルテン 「ハプスブルク家とお茶碗と砂糖菓子」Vol.3

こんにちは。ル・ノーブル亭主です。さて本日は第三回目です。マイセンより引き抜かれたシュテルツェルは思っていた環境とあまりにも違いすぎたため驚愕します。

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【テキスト版】ル・ノーブル亭主の徒然なるままに
ーハプスブルク家とお茶碗と砂糖菓子 Vol.3-

亭主さま、先月号では「シュテルツェルはとんでもない行動に出た」で続くとなりましたね。

「そこからやな、では話を始めようか。マイセン工房よりもひどい環境や約束の報酬が支払われないことに怒ったシュテツェルは、ついに古巣のマイセンに戻ることを決意。ウィーン磁器工房をめちゃくちゃに破壊し、優秀な絵付師となったヘロルトを手土産に許しを乞い、わずか1年でマイセン工房へ戻っていった。続いてフンガーもイタリアへ去り、ヴェネチアでイタリア発の磁器製造にかかわったのち、フィレンツェ、コペンハーゲンなどを転々とし窯を開くのを手伝って回った。

シュテルツェルの破壊により絶望的に見えたウィーン磁器工房だが、化学的知識を持ち合わせていたデュ・パキエと、残る10人ほどの職人たちで工房はなんとか復活。ここからは、マイセンに追いつけ追い越せと次々と新しい作品を製作したんや。

例えば、マイセンに先駆けて制作したセルヴィエス(食器のセット)、オーストリアの危機を幾度と救った軍事司令官オイゲン公にちなんで「プリンツ・オイゲン」と名付けられた絵柄シリーズの食器ーウィーン磁器工房を代表する最古の絵柄となったー、部屋の壁や家具にはめ込むパネルやタイルなでお種類は多岐に渡った。また、このころ、輸入品ばかりだった把手付きのコーヒーカップに欧州産が登場。それを初めて作ったのがマイセンかウィーンかと言われているんや。次回はそのお話しをしよう。

【編集・デザイン:大山崎リトルプレイス 大山崎ツム・グ・ハグ  2016年 Vol.3
【大 山崎リトルプレイスについて】私たちノーブルトレーダース(株)の本社は京都にあり、大山崎町は会社設立の原点の場所でもあります。その町で活 動をされている大山崎リトルプレイスさん。町や生活に関する情報をはじめ、近隣地域で活動をしている会社や人々を取材され「大山崎ツム・グ・ハグ」という フリーペーパーを毎月発行されています。その中で多くの人々に陶磁器の魅力を知っていただきたいと始まったのが窯にまつわるコラム「ル・ノーブル亭主の徒 然なるままに」です。

ちなみに、記事の中に登場する「プリンスオイゲンシリーズ」は 1720年に創作された絵柄で、アウガルテンに属する最も古いシリーズの一つです。当時は、このような「シノワズリ」とよばれる東洋のモチーフが好まれました。 プリンスオイゲンは緑一色で描かれていますが、赤などの色とりどりで描かれたシリーズ(カラフルシノワズリ)も存在します。

さて、マイセンから漏れ出た磁器焼成の秘密は、その後オーストリアからヨーロッパ各国へ広がることとなります。磁器の技術を広めて いったという点で、ウィーン磁器工房の役割は非常に大きかったと言えるでしょう。洋陶磁器の窯の変遷表などを見ていると、オーストリアからかなりの窯へ技 術が伝えられたということがわかります。