ヘレンドとシノワズリ

東インド会社の設立と紅茶文化の始まり

1600年にイギリスで東インド会社が、2年後の1602年にはオランダでオランダ東インド会社が設立されました。これらの東インド会社が中国などから盛んに商品をヨーロッパにもたらした事により、ヨーロッパでは東洋の文物への憧れが強まっていきました。「東インド」という名称ですが、交易相手にはインドだけでなく中国や日本も含まれていました。

アジアからヨーロッパへの交易品はもともとは香料や胡椒などのスパイス類でしたが、次第にコーヒー、チョコレート、そしてお茶などの嗜好品が主な商品となっていきます。オランダ東インド会社によってヨーロッパへ初めてお茶がもたらされたのは1619年ごろであるとされており、その後オランダ経由で1630年頃にイギリス・フランスに入り、1657年には初めてロンドンのコーヒーハウスでお茶が市販されました。その後、1662年にポルトガル王の娘キャサリンがチャールズ2世の元に嫁いだ際に彼女が中国趣味を宮廷に持ち込み、同時に各地に喫茶の習慣が広がっていき、17世紀後半になるとヨーロッパ各地にコーヒーハウスが現れ、それに伴いオランダ東インド会社は中国や日本から磁器のカップの輸入を盛んに行いました。

ヨーロッパの人々を魅了した東洋文化

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1690年ごろからイギリスの東インド会社も中国のお茶を直接輸入し始め、1717年には広東からの定期的な交易が始まり、絹に代わってお茶が貿易の中心となりました。また、コーヒーにおいても1710年代からイギリスの東インド会社が本格的な輸入を開始します。イギリスをはじめヨーロッパ各地に茶やコーヒー、チョコレートの需要が広がり、これらの熱い飲み物に対して、陶磁器のポットや碗は不可欠なものとなりました。

陶磁器に対する需要の高まりは、実用面で優れていただけではありません。白い地に鮮やかで、華麗な上絵付の文様が人々の心を捉え、ヨーロッパにもたらされた陶磁器たちは宮廷では装飾としてのコレクション対象になり、宮殿の中で東洋の陶磁器や漆器、あるいは絹織物が装飾に使われました。17世紀後半から18世紀後半にかけて東インド会社はお茶の他にも様々な商品をもたらし、異国趣味に留まらない熱心な東洋文物のコレクションが人々の間でブームになりました。その結果、建築や家具、織物などに中国風のモチーフが盛んに取り入れられ、中国に対する関心と憧れは最高潮に達しました。

陶磁器の世界でも同様でした。1710年にヨーロッパ初の磁器窯がマイセンに開かれ、その後ウィーン、ミュンヘン、ベルリン、セーヴルなど次々に磁器窯が設立された際も、当初それらの窯では、中国や日本の陶磁器を忠実に模倣しようとしており、マイセン窯や、ジノリ窯、セーヴル窯、ロイヤル・コペンハーゲン窯などのヨーロッパ諸窯でも19世紀は、シノワズリー(中国趣味)の文様が盛んに作られました。

ヘレンドとシノワズリ

ヴィクトリア・ブーケ(VBO)

ヴィクトリア・ブーケ(VBO)

ハンガリーの西の端の村・ヘレンドで本格的な磁器生産がはじまるのは1842年からであり、19世紀後半からのいわゆる万国博覧会の時代にあたります。1845年のウィーン産業博覧会に出品し、1848年には王室御用達ヘレンド磁器製作所を名乗ることになります。

ゲデレ(G)

ゲデレ(G)

ヘレンド磁器の文様には「ヴィクトリア」シリーズや「ゲデレ」シリーズの様に、中国あるいは日本の雰囲気を持つものが多数あります。しかしそれらは東洋的な印象を与えるものの、東洋の作品を完全に手本としたものではありませんでした。

例えばヘレンド磁器の最もよく知られたモチーフの1つに「ヴィクトリア」があります。この文様は1851年の第一回ロンドン万国博覧会に出品されたヘレンド磁器のモチーフであり、ヴィクトリア女王がこのディナーセットを注文したことから「ヴィクトリア」と呼ばれることになりました。

この装飾は、牡丹文や蝶文のデザインと彩色などに清朝時代に盛んに製作された粉彩磁器や織物を連想させますが、この頃のヨーロッパでは、シノワズリーの磁器を盛んに生産していた著名な窯はその最盛期を過ぎていました。しかし、新興のヘレンド窯はかつてのシノワズリー文様を独自に再構成することによって新しいシノワズリーを作り出しました。ヨーロッパに輸入された中国陶磁や日本陶磁を模倣したシノワズリーの時代を経て、ヘレンド磁器は東洋の文様を巧みに取り入れ、洗練されたデザインの作品を数多く作り出しました。

オリジナリティを生み出すヘレンドの創造性

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ヘレンド磁器の各種のシリーズの中で、1879年代ごろから現れてくる「西安の黄」「西安の黒」「明の宮女」「康煕」「上海」「中国の鳥」などは、その名称からも窺える通り、明らかに中国の雰囲気を持ったデザインです。しかし、それらと完全に一致するような中国陶磁は見当たらず、ヘレンドのデザイナーが創出したものです。碗などの把手のデザインに傘をかぶった中国風の人物をつけたシリーズも、ヘレンド磁器のシノワズリーを代表するものとなっています。

インドの華」と呼ばれている文様もまた一見して東洋の文様に由来することがわかりますが、元にされたデザインはむしろ、マイセンなどヨーロッパで生産された柿右衛門スタイルの作品にあると考えられます。日本から輸出された柿右衛門はヨーロッパにおいてきわめて精密に模倣されましたが、これらの写しは次第に様式化し、ついにはヘレンド磁器のように完全に消化されたデザインとなりました。
インドの華

インドの華

ヨーロッパにおいては、シノワズリーを用いたデザインの流行は19世紀半ばには下火になっていましたが、紅茶をたしなむ文化が大衆にまで広がりつつある時代、陶磁器にとっては必要なデザインの一つになっていきました。使い古されたシノワズリーではなく、新鮮な感覚のシノワズリーがヘレンドによって創造されました。ヘレンドは17世紀後半から18世紀後半に現れたシノワズリーの流行を19世紀以降も独自に発展させ続けていき、これらは現代に至るまで人気のシリーズとなっています。