リチャードジノリ「第3の窯-温故創新-」Vol.1

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ル・ノーブル亭主のつれづれなるままに

リチャードジノリ 第三の窯 -温故創新 Vol.1-

亭主様、お久しぶりです。さて、今回はどんなお話で再スタートですか?
「ヨーロッパ3番目の窯の話をしよう。1710年にドイツの『マイセン』がヨーロッパ初の硬質磁器作りに成功。それをみてヨーロッパ各国は、マイセンにスパイを送りこんだり、人を引き抜くなど手段を択ばず2番目の窯を目指した。やがてオーストリアの『デュ・パキエ窯』(のちの『ウィーン磁器工房アウガルテン』)が磁器作りに成功したのは、ご存知の通り。
そして舞台は、イタリアへ。『マイセン』を出て『ウィーン磁器工房』で働いていた絵付師フンガーをベネチアのヴェッツィ窯が引き抜き、マイセンと同じ土を入手できるようになると、1720年磁器作りに成功。しかし、喜びも束の間、経営の悪化やマイセンと同じ土の入手が困難になるなど問題が続き、7年で窯は閉鎖したんや。
その8年後、舞台はフィレンツェ、当時のトスカーナ大公国へ移る。かつてフィレンツェは、ルネサンス文化の中心として毛織物業で栄えていたが、国を治めていたメディチ家とともに衰退の一途やった。その国の侯爵で議員やったカルロ・ジノリは、自国の衰退を憂い、再び繁栄をもたらすには硬質磁器の生産が必要と考え、1735年にドッチアにある自分の別荘に窯を開いた。のちの『リチャード・ジノリ陶磁器会社』となる『ドッチア窯』、第3の窯の登場や」。

【編集・デザイン:大山崎リトルプレイス 大山崎ツム・グ・ハグ2017年Vol.1】
【大 山崎リトルプレイスについて】私たちノーブルトレーダース(株)の本社は京都にあり、大山崎町は会社設立の原点の場所でもあります。その町で活 動をされている大山崎リトルプレイスさん。町や生活に関する情報をはじめ、近隣地域で活動をしている会社や人々を取材され「大山崎ツム・グ・ハグ」という フリーペーパーを毎月発行されています。その中で多くの人々に陶磁器の魅力を知っていただきたいと始まったのが窯にまつわるコラム「ル・ノーブル亭主の徒 然なるままに」です。