ウェッジウッド「女王陛下の陶工と呼ばれた男」最終話

ル・ノーブル亭主の徒然なるままに
『女王陛下の陶工』と呼ばれた男 ~天ハ自ラ助クル者ヲ助ク ⑪

ジョサイア、自ラ助ケ自ラ去ル

~ジョサイア・ウェッジウッド亡きあと

ジョサイアの子孫は、どんな活躍を?「ウェッジウッド社を継いだ次男のジョサイア・ウェッジウッドⅡ世(以降ジョサ
イアⅡ世)は18世紀に誕生した軟質磁器『ボーンチャイナ』を改良し、ウェッジウッドブランドの一つに育てた。長男のジョンは趣味の園芸が高じ、王立園芸協会設立に貢献。また、蓮の花模様の『ダーウィンリリー』などボタニカル柄のデザインを手掛け、ウェッジウッド社の商品に取り入れていった。末息子のトマスは、陶磁器に絵柄を写す実験の過程でカメラ・オブキュラ(ピンホール現象を利用したカメラの原型)で映した画像を初めて紙や革に転写することを試み、”英国写真の父” と呼ばれてるんや。

長女スザンナは、父の親友エラズマス・ダーウィンの息子ロバートと結婚。チャールズ・ダーウィン(以下チャールズ)を生んだ。実は、チャールズに調査船ビーグル号での航海話が来た時にロバートは反対。諦めかけたチャールズに参加を勧
め、ロバートを説得したのはジョサイアⅡ世やった。のちにチャールズは、ジョサイアⅡ世の末娘エマと結婚。ウェッジ
ウッド家とダーウィン家から援助を受けながら研究し、1859年に『種の起源』を発表したんや。
同年発行された、欧米の偉人とその成功哲学を描いた「Self-Help」(サミュエル・スマイルズ著)には、ジョサイアも登場。日本では明治4年に『西国立志編:原名・自助論』の名で翻訳され大ヒット。タイトルの由来となった名文〝天ハ自ラ助クル者ヲ助ク〞は、ジョサイアの人生そのもの。日本人に希望を与え、日本も近代化へと進んでいったんや」

【文章・編集・デザイン:大山崎リトルプレイス
【大山崎リトルプレイスについて】私たちノーブルトレーダース(株)の本社は京都にあり、大山崎町は会社設立の原点の場所でもあります。その町で活 動をされている大山崎リトルプレイスさん。町や生活に関する情報をはじめ、近隣地域で活動をしている会社や人々を取材され「大山崎ツム・グ・ハグ」という フリーペーパーを毎月発行されています。その中で多くの人々に陶磁器の魅力を知っていただきたいと始まったのが窯にまつわるコラム「ル・ノーブル亭主の徒 然なるままに」です。