リチャードジノリ「第3の窯-温故創新-」Vol.2

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ル・ノーブル亭主のつれづれなるままに

リチャードジノリ 第三の窯 -温故創新 Vol.2-

亭主様、前号でカルロ・ジノリ侯爵(以下ジノリ侯爵または侯爵)は、ドッチアに窯を造りましたね。「トスカーナ大公国の議員で実業家のジノリ侯爵は、鉱物学にも詳しく、さまざまな地域から土を集め、土の配合や顔料の発色を研究するなど勢力的に動いた。

1737年、トスカーナ大公国ではメディチ家最後の大公がなくなり、オーストリア・ハプスブルク家のマリア・テレジアの夫、フランツ・ステファン(   のち のフランツ1世・神聖ローマ皇帝)が大公を継承した。マリア・テレジアといえば、『デュ・パキエ窯』を買い取り、『ウィーン磁器工房』として再出発させたのは記憶に新しいな。

侯爵は、市議としてウィーンへ視察に出かけた折には、デュ・パキエ窯を訪問し自ら製法を学んだ。また、有名な絵付け師アンライターや技術者と会い、フィレンツェへ招いたり、自国の優秀な彫刻家ブルスキを成型デザイナーとして雇ったんや。1737年に国に求めていた硬質磁器の独占生産権が1741年に許可されると、本格的に生産が始まっていった。

開窯当初は熟練した職人が少なく、1点ものや「スタンピーノ」(文様を切り抜いた型紙を器にあてて筆や刷毛などですり込む)技法の作品が多かったが、ウィーンから招いた絵付け師たちの指導で次第に職人が増え、作品の種類も増えていったんや」。

【編集・デザイン:大山崎リトルプレイス 大山崎ツム・グ・ハグ2017年Vol.2】
【大 山崎リトルプレイスについて】私たちノーブルトレーダース(株)の本社は京都にあり、大山崎町は会社設立の原点の場所でもあります。その町で活 動をされている大山崎リトルプレイスさん。町や生活に関する情報をはじめ、近隣地域で活動をしている会社や人々を取材され「大山崎ツム・グ・ハグ」という フリーペーパーを毎月発行されています。その中で多くの人々に陶磁器の魅力を知っていただきたいと始まったのが窯にまつわるコラム「ル・ノーブル亭主の徒 然なるままに」です。