マイセン工房「カオリンと錬金術師とシノワズリ」Vol.2

今回のコラムは東洋の磁器が西洋にもたらした影響についてです。

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どこか中国の陶磁器を思わせますが、これはどこの国で作られた物かご存知でしょうか。

実 はこれ、第一回目に触れましたマイセンよりも前に試みが行われていたイタリアのトスカーナで1575年ごろに作られた「メディチ磁器」と呼ばれるものの復 刻版です。実は当店でむかーしむかし取り扱いをしておりました。今ではもお目にかかることはもうないと思います。復刻版とはいえ磁器の初期を 感じることができる貴重なものです。

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【テキスト版】ル・ノーブル亭主のつれづれなるままに

-カオリンと錬金術師とシノワズリ Vol.2-

亭主様、なぜ、貴族たちは磁器作りを始めたのですか?

「透光性のある、真っ白な磁器が生まれたのは今から千年以上も前の中国・景徳鎮。それからヨーロッパで最初に磁器が作られたのが1575年頃、なんと約600年後や。フィレンツェのメディチ家当主トスカーナ大公が陶工と共に中国の青花磁器をまねて製造したが、カオリン(景徳鎮金工の高嶺で産出された、磁器に適した白い粘土、または同質のもの)ではなかったため、透光度も硬さも中国磁器とは比べものにならず、やがて大公が亡くなると製造は行われなくなった。その後、オランダの東インド会社がヨーロッパへ中国磁器の輸出を開始。貴族たちは、磁器の美しさに魅かれ、収集するようになっていったんや。一方、朝鮮ではすでに中国から磁器が伝わり、1616年、秀吉が朝鮮出兵した頃には高度な技術を持つ陶工がいたんや。藩主たちがその陶工を連れ帰り、日本の磁器作りは始まったと言われている。

さて、再びヨーロッパ18世紀。長年続く戦争で資金不足に陥った王たちは、錬金術師に『金』を作らせ補おうとしたが、そう簡単に作れるはずもなく、それなら中国の磁器や日本の伊万里を自分たちで作り売ろうと考えた。その王のひとりがドイツのアウグスト王。ここに名窯「マイセン」が誕生。実に中国磁器が生まれてから約七百年もかかってや」

【編集・デザイン:大山崎リトルプレイス 大山崎ツム・グ・ハグ2013年Vol.2
【大 山崎リトルプレイスについて】私たちノーブルトレーダース(株)の本社は京都にあり、大山崎町は会社設立の原点の場所でもあります。その町で活 動をされている大山崎リトルプレイスさん。町や生活に関する情報をはじめ、近隣地域で活動をしている会社や人々を取材され「大山崎ツム・グ・ハグ」という フリーペーパーを毎月発行されています。その中で多くの人々に陶磁器の魅力を知っていただきたいと始まったのが窯にまつわるコラム「ル・ノーブル亭主の徒 然なるままに」です。