究極のレースカットデザイン「PK500」

ボヘミアガラスの土地“ボヘミア”は、現在のチェコ共和国の西部・中部地方を指す歴史的地名です。ヨーロッパ大陸の中央に位置し、周囲は山に囲まれ、いくつもの大きな森林が国土を覆っています。これらの森林はチェコを代表する伝統産業の一つとして「ボヘミアガラス」が発展するのに重要な役割を果たし、国内最初のガラス製造が始まった1,000年前は今よりはるかに大きかったと言われています。

ボヘミアガラスのはじまり

5~6世紀頃にこの地に定住したスラブ族は、9世紀の初めに最初の国家“モラヴィア帝国”を建設しました。この帝国はハンガリー人の侵入によって滅亡、わずか100年しか存続しませんでしたが、文化的に高い水準に達していたことがかつてのスラブ人居住地域で発掘された考古学上の遺物から分かっています。この発展した中世国家では、ガラスのビーズや指輪などが作られていましたが、これらのガラス製造は装身具類に限られていたわけではなく、大半は窓ガラスで、町や城郭には建てられたゴシック聖堂の高窓には色ガラスによるステンドグラスが嵌め込まれていました。

14世紀後半には、“ボヘミア”は神聖ローマ帝国皇帝であるルクセンブルグ家・カール4世(ボヘミア王)の統治下にありました。カール4世は先を見通す力に秀でた優秀な政治家でもあり、プラハを帝国の首都に定め、治世中に壮麗な建築物がいくつも建設されました。この時代から中空のガラス器の製造も本格的に始まり、当時モラヴィアを含む帝国の領地にはおよそ20のガラス工場があったと推定されています。

ボヘミアガラスの発展

16世紀前半、ハプスブルク家のフェルディナント1世により、この地域はオーストリアのカトリック王朝の支配下に入り、ハプスブルク家による統治はその後、約400年に亘り続くこととなります。イタリア・ルネサンス様式がヨーロッパ中に普及したのもその頃のことで、当時ボヘミアにはイタリアの職人が大勢おり、ヴェネツィアで発達したガラス製造の新しい様式と技法は、オーストリアやチロルといった隣国からも齎されました。

中でも熟練した腕をもつガラス工一族が多くいたザクセン王国の働きが大きかったと言われています。ザクセン人は所有する森林の木材を活用したいと考えていた貴族の領地にガラス工場を建て、彼らの要望によりヴェネツィア様式のガラスを作るようになりました。

以降ルドルフ2世の時代は、ボヘミアガラスにとってまさに飛躍の時代だったと言えます。そのきっかけとなったのは、ルネサンス期からバロック期にかけて宮殿に招へいされ工房を構えた、各種工芸のいわゆる宮廷職人たちでした。それまでのボヘミアガラスにおいても溶解技法の改良、宙吹きの高度なテクニック、エナメル彩、絵付け、象眼、カット、エングレーヴィング(ガラスに小さな銅版の刃をあてて描くチェコの伝統技術でカット技法では出せない繊細で陰影に富んだ表現が可能)といった技術と独自の装飾はある程度行われていましたが、それらは必ずしも満足できるレベルではなく、当時のヴェネツィアガラスのテクニックによる影響は大きく、ボヘミアガラスを発展させました。

ルドルフ2世は絵画や美術品の一大コレクションを作り、中でも特に宝石類を好んだ為、プラハは宝石彫刻の中心地の一つとなり、貴石(準宝石)の細工師たちは、その技術をガラスのカットやエングレーヴィングに応用し、ボヘミアガラスの独創に貢献しました。

隆盛と衰退、そしてカッティングとしてのポジション確立へ

エングレーヴィングや、カットの優れた技術を最大に発揮するには、何よりもガラス質が水晶の様に硬質であることが重要です。ボヘミアのガラス製造業者たちは、天然の水晶に似た非常に硬い透明ガラスを作ることが出来たので、その卓越した技術による装飾表現の幅と質が圧倒的に高まりました。とりわけ、エングレーヴィングにおいては、他の追随を許さない独特のものとしてボヘミアガラスの名声を今日まで継承しています。

17世紀後半には、ボヘミアのガラス製品はその質の高さで知られるようになりました。18世紀前半になるとエングレーヴィング技術を持つ者たちは、北ボヘミアやヤブロネツ地方に集中し、エングレーヴィング装飾の質が一段と高まりました。さまざまな工場と接触のあるガラス商人たちも集まり、ガラス装飾家に未加工のガラスを供給しました。彼らはガラス装飾品の販売網にも整備を行い、ボヘミアにおいてガラス製品の貿易は隆盛を極めました。

しかし、18から19世紀への変わり目に戦争で経済的に大打撃を受け、ボヘミアガラスは一時衰退してしまいます。戦後は様式が一変し、ダイアモンド・カットによるイギリスの鉛クリスタルがもてはやされるようになりました。ボヘミアのガラス製造業者たちは、すぐに新しい装飾様式を取り入れ発展させ種々さまざまなカット・モチーフを開発、19世紀以降はカッティングがボヘミアガラス装飾の主流となりました。

究極のレースカットデザイン「PK500」

PK500の“PK”はチェコ語で「ピカ」と読み、“デコレーション”を意味します。グラスカットのデザインが作られた順にPK1、PK2と番号がふられ、PK500は500番目に出来たカットパターンです。

このPK500は約100年前にデザインされ、その後もPK600など新しいデザインが考え出されましたが、デザインのバランス、輝きの美しさなどから、PK500を超えるデザインは未だ無いと言われています。PK500はグラスのレースカットの完成形、云わば『究極のデザイン』とも言えるものなのです。