あつらえの器 ~ヘレンドと万国博覧会~
「インドの華」は元は日本磁器の「柿右衛門」なのに、なぜ「インド」と?
「西洋人はアジア各国の違いが判らず、まとめて「インド」と言ってた。また、マイセンの主アウグスト王が天才絵師ヘロルトに「柿右衛門」の写しを命じるときに、「インド風の写しを」と言ったそうや。マイセンの「柿右衛門」風は、大変人気を呼んだ。それから1世紀が経ち、ヘレンドはマイセンの「インドの華」を蘇らせたんや。
ナポレオン皇妃ウージェニーは、万博会場でこの『インドの華』を見て注文。次期万博開催国として視察に訪れていたオーストリアのフランツ・ヨーゼフ皇帝夫妻を宮殿に招き、ディナーでこの器を使ったんや。日本館の展示ブースでは、幕府や佐賀藩が『小皿に煎茶椀をのせて珈琲椀』という風に、日本の器を西洋でも使えるように説明し売っていた。訪れた欧州の専門美術家たちは*「高貴なペルシャ絨毯とも見まがうほどに精緻で端麗な藩窯の色鍋島」を見て驚き、ウ―ジェニー皇妃は有田焼の猿の舌出し人形をたくさん買ったそうや。
パリ万博は5万2千の出展者数を集め、ヘレンドではモールが磁器製作所主として銀メダルを受賞。日本は多くの品が高評価を受け、アジアで唯一グランプリを受賞。個人の入賞も多数あった。
受賞後、『日本』は『インド』地域ではないとはっきり認識され、その文化に魅了された人々は暮らしや芸術など、いろいろな分野にジャポニスム(日本趣味)を取り入れていったんや」。 つづく
*引用文献:『有田窯業側面史(明治編)』 松本源次 麦秋社 P71
【構成・執筆・編集・デザイン:大山崎リトルプレイス 】
【大 山崎リトルプレイスについて】私たちノーブルトレーダース(株)の本社は京都にあり、大山崎町は会社設立の原点の場所でもあります。その町で活 動をされている大山崎リトルプレイスさん。町や生活に関する情報をはじめ、近隣地域で活動をしている会社や人々を取材され「大山崎ツム・グ・ハグ」という フリーペーパーを毎月発行されています。その中で多くの人々に陶磁器の魅力を知っていただきたいと始まったのが窯にまつわるコラム「ル・ノーブル亭主の徒 然なるままに」です。