マイセン工房「カオリンと錬金術師とシノワズリ」Vol.9

ここから陶磁器の歴史は激動の時代を迎えていきます。

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マイセンの成長に大きく影響を与えた3人の職人の一人ヘロルトの名は、マイセンがお好きな方であれば一度は聞いたことがある名前のはず。彼は実はオーストリア出身の優秀な画家だったのです。

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ル・ノーブル亭主のつれづれなるままに

ーカオリンと錬金術師とシノワズリ VOL.9ー

ヘロルトは、なぜマイセンへ?

「フンガーに見出されたヘロルトは、瞬く間に磁器の絵付けを習得し、類まれな才能を開花させていった。シュテルツェルは、パキエの工場の来たものの、マイセンよりひどい資金繰りや給与の未払い、狭い作業場、未熟な職人たちに失望し後悔した。一方、マイセンの工場もベドガーが亡くなり、他国から職人を引き抜かれ、生産もままならなかった。特にベテランのシュテルツェルの損失は大きく、アウグスト王は、特使を彼の元に送り込み、マイセンへ引き戻す道を図った。しかし、シュテルツェルは、裏切者がマイセンに戻り、本当に許されるのか不安やった。そこで絵の技術が未熟なマイセンの工場に、天才絵師を連れて帰ればきっと喜ばれ、自分の罪も許されるだろうとヘロルトを説得し連れて行くことにしたんや。

こうして1720年、ヘロルトが絵付師としてマイセンに入ったことで、ベドガーの念願だったシノワズリの磁器がマイセンから登場し、ヨーロッパ中の人気を集めていったんや。そして、ヘロルトは絵の才能と共にしたたかさを発揮し、マイセンでの自分の地位も揺るぎないものにしていくんや。」

【編集・デザイン:大山崎リトルプレイス 大山崎ツム・グ・ハグ2014年VOL.9
【大 山崎リトルプレイスについて】私たちノーブルトレーダース(株)の本社は京都にあり、大山崎町は会社設立の原点の場所でもあります。その町で活 動をされている大山崎リトルプレイスさん。町や生活に関する情報をはじめ、近隣地域で活動をしている会社や人々を取材され「大山崎ツム・グ・ハグ」という フリーペーパーを毎月発行されています。その中で多くの人々に陶磁器の魅力を知っていただきたいと始まったのが窯にまつわるコラム「ル・ノーブル亭主の徒 然なるままに」です。