マイセン工房「カオリンと錬金術師とシノワズリ」Vol.8

さて、物語はここで大きく動き出します。長年にわたる過酷な監禁生活は、ついにベドガーを死に追いやるはめになってしまいます。

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強王アウグスト。彼の陶磁器へのあくなき執念がヨーロッパ陶磁器の歴史を作ったといっても過言ではありませんが、その代償はベドガーをはじめ多くの人間の犠牲のもとに生み出されたものであることも事実です。

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【テキスト版】ル・ノーブル亭主のつれづれなるままに

ーカオリンと錬金術師とシノワズリ VOL.8―

亭主様、ベドガーは、絵具の開発も中国趣味の絵付けも叶わず亡くなったのですか?

「そうや。高温と有毒な煙がたつ劣悪な環境に肺を、集光レンズに目をやられ、晩年はほとんど見えず、アウグスト王から黄金作りの要求や監禁からくるストレス、紛らわすための飲酒で手の施しようがないほどベドガーの体はボロボロ。症状を知った王は、やっと12年半の監禁を解き、ベドガーは5年だけ自由を味わい、1719年3月苦しみに悶えながら、中国や日本並みの絵付けを見ることなく、37歳の若さで旅立ったんや。」彼に幸せな時が少しでもあったことを願いたいですね。」

「ベドガーが苦しんでいる頃、マイセンでは青絵具の開発どころか、外国からのスパイや職人の引き抜き横行してたんや。その中にオーストリアでの陶磁器工場設立に奔走していた宮廷役人デュ・パキエがいた。その男の示す好条件に、まずウィーンへ向かったのは、エナメル絵付師フンガー。しかし、磁器の製法を完全に知らなかったフンガーは失敗の連続。デュ・パキエは、フンガーを諦め、次にシュテルツェルを引き抜く。一方、フンガーは次々と新絵具を開発-青絵具をまだやったがー、その絵具を使いこなせる職人を探し、マイセンの歴史を残る装飾絵師ヘロルトに出会うんや。」

【編集・デザイン:大山崎リトルプレイス 大山崎ツム・グ・ハグ2013年VOL.8
【大 山崎リトルプレイスについて】私たちノーブルトレーダース(株)の本社は京都にあり、大山崎町は会社設立の原点の場所でもあります。その町で活 動をされている大山崎リトルプレイスさん。町や生活に関する情報をはじめ、近隣地域で活動をしている会社や人々を取材され「大山崎ツム・グ・ハグ」という フリーペーパーを毎月発行されています。その中で多くの人々に陶磁器の魅力を知っていただきたいと始まったのが窯にまつわるコラム「ル・ノーブル亭主の徒 然なるままに」です。