北の大地ロシアで250年以上にわたり、他にはない優美で華麗な輝きを放ち続けてきた傑作磁器「インペリアル・ポーセリン」。そのなかでも現在に至るまでとくに人気のシリーズが、アンナ・ヤツケヴィッチが生み出した作品(「コバルト・ネット」)と、アレクセイ・ヴォロビエフスキーの手によるロシアの風俗を巧みに織り込んだ作品だといえます。
これら素晴らしい磁器シリーズを紹介するために、まずはインペリアル・ポーセリンの歴史から簡単にひもといてみたいと思います。
ロシア磁器製造への道
すでに良く知られたことですが、ヨーロッパで初めて磁器の焼成に成功したのは、ドイツの強国ザクセンでした。1708年のことです。
ザクセン選帝侯フリートリヒ・アウグスト1世の命で、錬金術師ヨハン・ベトガーらが文字通り生死をかけて取り組み、ついに生み出した“白い黄金”。その驚くべきニュースは瞬く間にヨーロッパ中を駆け巡り、各地の王侯貴族たちに大きなインパクトを与えました。
“自らもマイセン窯のように磁器を作り出したい。”
この強烈な欲求に駆られた人物が、ヨーロッパの東のはずれ、ロシアにもいました。ロマノフ朝の中興の祖であり、初代ロシア皇帝であるピョートル大帝です。とても開明的で、進取の精神に富んだ皇帝であったピョートルはその生涯にわたり、西欧から高度な科学技術や芸術文化や学問をロシアに移入することに力を入れました。
そうしたヨーロッパの先進の技術の一角に、磁器の製造もあったのです。おそらくピョートルにとって、磁器焼成に成功したのがアウグスト1世であったことも、強い刺激になったはずです。というのも、17世紀末に北方の強国スウェーデンに対抗して、ピョートルは当時ポーランド王であったアウグストと同盟を結んだほか、ザクセンの都であるドレスデンを訪れるなど、密な交流があったからです。
ピョートルは1718年から本格的に磁器づくりに乗り出します。外国から何人もの専門家をロシアに招いて研究に当たらせたのです。しかし結局、彼の存命中に芳しい成果を上げることはできませんでした。
ヴィノグラードフとインペリアル・ポーセリン工房
その後、磁器製造の夢は、ピョートル大帝とその妻で2代目の皇帝であるエカチェリーナ1世との娘、エリザヴェータに受け継がれます。
エリザヴェータもピョートル大帝譲りの進取の気性を発揮して、ロシアの西欧化に力を入れた人物でした。その彼女の治世中の1744年に、磁器づくりのための専門施設「インペリアル・ポーセリン工房」がサンクトペテルブルクの郊外に立ち上げられました。
ここで頭角を現し、ついに硬質磁器の焼成を成功させたのが、ドミートリー・ヴィノグラードフです。優秀な鉱山技師であったヴィノグラードフは、独自に緻密な実験を繰り返し、極めて短期間のうちに“白い黄金”を生み出したのでした。
これ以後、インペリアル・ポーセリン工房は本格的に操業を始めます。そこで生み出された磁器の数々は、マイセン窯やセーブル窯といった外国の名立たる名窯にも引けを取らない高品質のものであり、その卓越した技術と美意識は時代の波濤を潜り抜け、現代にまで脈々と受け継がれてきました。
ソ連時代のポーセリン
18世紀半ばから始まったインペリアル・ポーセリンですが、その長い歴史のなかでもとくに大きな変化を迎えた重要な時期は、やはりソ連時代であったといえるでしょう。
1917年のロシア革命によって世界初の社会主義国家として生まれ変わったロシア。約300年にわたって続いたロマノフ朝が倒れたことで、その庇護下にあったインペリアル・ポーセリンは当然のことながら大きな変革に見舞われます。工房は国営となり、社会主義の理念を表現する作品が制作されるようになったのです。
とはいえ、20世紀初頭からロシアで起こっていた、極度に抽象性を追求するシュプレマチスムの流れは、革命後の磁器制作の現場にも持ち込まれましたし、またあるいはインペリアル・ポーセリンの初期から作られていたロシアの民俗的なモチーフを扱った作品も作られ続けます。
いわば新生ロシアでは、強烈な政治イデオロギーが支配するなかで、とても雑多な要素が混在しつつ、今までにない新たな芸術の創出をしていこうとする強い衝動が発揮されたように思われます。
ヤツケヴィッチとヴォロビエフスキーの仕事
ソ連時代には磁器の絵付けや造形において、たいへん才能のある芸術家たちも多く現れました。なかでもペインターであれば、ヤツケヴィッチとヴォロビエフスキーの名前を外すことはできません。
アンナ・ヤツケヴィッチ
ヤツケヴィッチはレニングラードの学校で応用美術を修めたのち、1932年に国営の磁器工房に入って絵付け制作をはじめ、高い技量を発揮した女性でした。
彼女のペインターとしての能力が高く評価されていたことは、ナチス・ドイツとの戦いに勝利した記念に制作された花入れの装飾を任されていることからもよくわかります。
そのヤツケヴィッチが1950年に発表した作品が、現在でもインペリアル・ポーセリンを代表するシリーズとなった「コバルト・ネット」なのです。
深みのあるコバルトブルーの優美な網目模様に鮮やかな金彩が映える装飾は、1750年代にヴィノグラードフがエリザヴェータのために制作したセットからインスピレーションを得たものといわれています。
アレクセイ・ヴォロビエフスキー
一方、ヴォロビエフスキーは、1920年代半ばからペインターとしてのキャリアを開始し、極めて高い手書き技術を持っていた人物でした。
彼が早くから取り組み、最も得意としたモチーフがロシアの民俗を主題としたものでした。ロシアに古くから伝わる民話をもとにしつつ、それを大胆に再構築して詩的で幻想的な作風を確立し、それが現在においても高く評価されているのです。
このように今でも愛され続けている2人のペインターの作品は、ソ連時代に生まれたものでありながらも、古くからのロシアの伝統を排除することなく、うまく昇華しているといえます。そこに他の地域の磁器には見られない独特な魅力を発揮しつづける秘密の一端があるのではないでしょうか。