マイセン工房「カオリンと錬金術師とシノワズリ」Vol.13

本日はカラー版のイラストです!今回は、マイセンのもう一人の立役者の登場です。シルエットの彼は…誰!?

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マイセンがお好きな方なら聞かれたことはあるかと思います。ケンドラーの登場です。ケンドラーは1775年に68歳で亡くなるのですが、、謎が多く、肖像画も唯一残された物がこのシルエットだといわれています。第一次大戦でマイセンの多くの資料が消滅してしまったと考えられています。

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【テキスト版】ル・ノーブル亭主のつれづれなるままに

ーカオリンと錬金術師とシノワズリ VOL.13―

今月はマイセン発展のもう一人の立役者の登場ですね。

「アウグスト王は、長年思い描いていた磁器の宮殿についに取り掛かった。しかし、その宮殿内に磁器の動物園を作るという王の計画は、ヘロルトの絵を生かすためにシンプルな形のみ作ってきた職人たちには難しく、腕のいい彫刻師を探すことになったんや。

ある日、王は若い彫刻師ケンドラーに出会う。彼の手掛けた彫刻の美しさと手際よさに、王の目は釘付け!造形彫刻師として、彼を向上に迎えたんや。ケンドラーは王の期待に応え、次から次へと動物園を制作。その作品は磁器の宮殿に運ばれ、アウグスト王を大いに喜ばせた。しかし、王は1733年2月、磁器の宮殿の完成を見ることなく、病に倒れ、旅先で息を引き取ったんや。

後継者の息子アウグスト三世は、父とは正反対で政治や磁器に興味がなく、早々と家臣ブリュール伯に任せてしまう。その伯爵がケンドラーの作品に魅せられ、贔屓となったことがおもしろくないヘロルトは、「造形の美しさゆえ彩色などいらない」というケンドラーの作品に無理矢理彩色を施していった。

弟子への指導も、ケンドラーはヘロルトと違い、ヘロルトの弟子にさえも教え、アイデアを取り入れオリジナルが生まれることを喜んだので、弟子たちは次々と才能を伸ばした。こうして二人はあらゆる場面で対立し続けたんや」

【編集・デザイン:大山崎リトルプレイス 大山崎ツム・グ・ハグ2014年VOL.13
【大 山崎リトルプレイスについて】私たちノーブルトレーダース(株)の本社は京都にあり、大山崎町は会社設立の原点の場所でもあります。その町で活 動をされている大山崎リトルプレイスさん。町や生活に関する情報をはじめ、近隣地域で活動をしている会社や人々を取材され「大山崎ツム・グ・ハグ」という フリーペーパーを毎月発行されています。その中で多くの人々に陶磁器の魅力を知っていただきたいと始まったのが窯にまつわるコラム「ル・ノーブル亭主の徒 然なるままに」です。