「マイセンクリスタル」の硝子のパレット

ガラスの歴史は古く、黒曜石(こくようせき)のような天然のガラスの利用は、石器時代から石包丁や矢じりとして利用されてきました。

人口ガラスの誕生は偶然の産物と考えられており、ガラスの主成分である珪砂と石灰が人為的に溶融される状況として、陶器の窯で発見された可能性が高いといわれています。

紀 元前3000年頃のメソポタミアや、エジプトでは、小さなガラス玉を繋げたネックレスなどの装身具やお守りなどが作られ、支配階級の貴重品とされていまし た。紀元1世紀の中頃、シリア・パレスチナ地方で、吹き竿を使い、溶融したガラスを風船のようにふくらます「宙吹き成型」や、型の内部にガラスを吹き込む 「型吹き成型」が考案されます。これらの新技術は、ガラス器の多様化と生産性の向上をもたらし、薄手で半透明なガラス器が一般にも普及し始めます。その 後、ローマ帝国の拡大とともに「ローマングラス」として広く交易されるとともに、その技術も各地へ伝えられていきました。

395年にローマ 帝国が東西に分裂したあと、東ローマ帝国(ビザンチン帝国)では、エジプト、シリア、パレスチナ、ササン朝ペルシアなどの影響も受け、ビザンチウム(=コ ンスタンチノープル、現在のイスタンブール)を中心にガラス産業が栄えました。これらイスラム文化圏のグラスには、カット・エッチング技術・金装飾・エナ メル装飾など、現在知られている技術のほとんどを見ることができます。

1204年にビザンチウムが陥落し、ガラス産業はヴェネツィアに引き 継がれるようになります。その後1271年、ヴェネツィアで最初のガラス職人組合が結成され、1291年には技術の流出を防ぐことを目的に、ガラス工房を ムラノ島に集める法令が出されました。こうしてムラノ島では様々なガラス工芸技術の発見・再発見が行なわれていきます。特に15世紀以降には、金箔張り・ エナメル装飾技術の革新が行なわれ、ダイヤモンドを使ったグラヴュール装飾技術も洗練されていきました。

また一方で、現在のチェコにあたる ボヘミア地方のグラスも隆盛を迎えました。宝石彫刻の技術が高かったこの地方では、硬く透明度の高いカリウムガラスにカットを施すことで、その特性を最大 限に引き出すことに成功しました。17世紀に入るとガラスの発色法が発展し、色ガラスが盛んに作られました。ボヘミアングラスの代名詞であった、色被せの カットグラスは今日では世界中で作られ人気を博しています。

本来の主原料である珪砂と、カリウム、ナトリウム、カルシウムなどを混ぜたガラ スは、うす青緑をしています。無色透明にする又は色を付けるには、マンガン、酸化鉛などの金属酸化物を混ぜねばなりません。また同じ着色剤を使っても、ガ ラスの成分やガラスを溶かす条件によっても変わるため、色の調節には高い技術を要します。

レッド

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ワインレッドのような少しだけ青みを帯びたレッドは“金赤”と言い、文字通り金を使っています。発色は非常に難しく、溶融条件や成型した時の温度で色が変化したりします。

アンバー

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アンバーとは琥珀色を指します。ビール瓶などの色と基本的に同じ着色系で、鉄分と硫黄を添加することによって得られます。

ブルー

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鮮やかなブルーは、酸化コバルトによるものです。瑠璃色という名前が付く場合も多く、古くからガラスの着色料として使われていました。

グリーン

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酸化クロムのライトグリーンに、酸化銅の青を入れることによって鮮やかなエメラルドグリーンにできあがります。

ライトグリーン

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酸化クロムが硝子にグリーン色を与えます。ただし少し黄味を帯びたライトグリーンになります。

ライラック

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二酸化マンガンがガラスに紫色を与えます。濃い紫色を作るにはガラス原料に酸素が多く含まれていなければならず、そのため酸化剤も原料に入れます。