景徳鎮

江西省の昌江の南にあることから『昌南鎮』と呼ばれた町が“景徳鎮”となったのは、北宋の景徳年間(1004年~1007年)のことです。優れた作品もこの頃から始まり、1000年以上もの間彼の地に伝わり続けています。

陶磁器の種類として「景徳鎮」の名前はあまりにも有名です。白磁にコバルトで染付をした青花や、唐三彩など、中国磁器の根幹として世界中に知れ渡っているからです。その磁土を採掘した高嶺山(こうりょうさん)の漢音である“カオリン”が、磁器の土そのものの代名詞になっていることからも、その認知度の高さが伺えます。

元時代(1271-1368)

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青花鴛鴦蓮紋菱口盤 45.5cm
黄 雲鵬 作

景徳鎮で有名な青花は、実はいつごろ始まったかは定かではありません。しかし元以前の南宋時代の遺跡の出土品には青花が無かったため、1300年代の元代に始まったと考えられています。釉薬の下に彩画したものとしては景徳鎮にほど近い吉州で、白磁に鉄釉で絵を書く白磁鉄絵が作られており、その工人が景徳鎮へ来たかどうかは分かりませんが、この近隣からの影響はあったと思われます。

また、誕生のもう一つのきっかけとなったのは、ペルシアの陶器と考えられています。当時中国陶磁の顧客であるペルシアでは、9世紀以来釉下青彩の青花を作っており、同じ青花の磁器をという注文が景徳鎮にあり、サンプルとしてペルシア青花陶が提示されたかもしれません。

元代では、青花磁の器形がしだいに種類を増し、それに応じて文様もさまざまに取り揃えられました。大小の壺や、これに注ぎ口と取っ手をつけた水差し、片口や、大盤、大鉢など、文様には伝統的な牡丹や蓮の唐草文、水禽文、鳳凰文、クジャク文、竜文、麒麟文など、いずれも興隆期のダイナミックな活気にあふれています。染付(青花)は明の宣徳が有名ですが、元から明の初代、洪武にかけての14世紀後半は、青花の最初の雄大な黄金期でした。濃密なオリエント風のアラベスク文様をびっしりと描き込んだ大盤は、この時代の特色であり、中国の好みではないことから中近東からの注文であると思われます。

明時代(1368-1644)

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景徳鎮 青花龍蓋花紋梅瓶 41cm
黄 雲鵬 作

明代の陶磁の主流は、あくまでも景徳鎮の磁器にありました。他に陶磁器を作る地域はあったものの、圧倒的に大量に作られたものという点では景徳鎮をおいてほかにありませんでした。その景徳鎮に明風とも呼ぶべき個性ある作品が生まれるのは、永楽帝の治世に入ってからです。元末のオリエント風磁器から、中国風の磁器へという方向転換が見られるのもこの時期からでした。

その主力となったのは、永楽代に設置された御器廠でした。国から支給される官製品を作るための窯であったので、時間と費用をかまわずに、上質のものを作ることだけに集中することが出来ました。このため景徳鎮全体の作品の向上にもつながり、何よりもここで作られるものは皇帝はじめ朝廷の高官の嗜好にかなったものでした。

永楽御器廠の方向を象徴するものとして、白磁の製品がかなり作られていました。明初期の古墓から出土する陶磁は、白磁、青磁が主であり青花はほとんどありませんでした。公式の儀礼に用いるのは、やはり格式をふまえた白磁でなければなりませんでした。

しかし、時の流れや、人々の趣味嗜好としては装飾性豊かな青花磁の愛好に傾いていったようで、出土品としての永楽磁器の大部分はやはり青花に占められました。

この時代の特徴としては、元時代からのオリエント好みによる大作はまだ多いものの、取っ手のある瓶(壺)といったゴテゴテした形は姿を消し、漢人の生活に即したスマートな形のものが多くなってきます。青色の染料の精錬が進み、青花の色はいたって明るく華やかとなり、文様の構図や描法が瀟洒をきわめるようになります。軽やかに回遊する纏枝や、唐草、流水にゆらめく藻草などが主役となり流麗なデザインが構成されました。

清時代(1644-1912)

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琺瑯彩荷花紋蓋罐

明末の万歴帝の時代は焼造量が飛躍的に増大したこと、新種類のコバルトなど新しく質の良い材料が新たに輸入されるようになったことなどから、製品の質が格段に上がった時期で、上絵付を意味する五彩をはじめとする、各種の色絵磁器が盛んに作られました。

しかし、万歴帝の後半の1625年頃から、日本や朝鮮、後金のヌルハチ軍との戦いなど、軍備の増大や、宮殿の再建などに巨額の費用を要したため、経済は一気にひっ迫し、御器廠の焼造が停止させられました。そしてそこで働いていた陶官たちが、生活の糧のために作り出したものは、商業的な作品でした。そこは献上用の器のような堅苦しい規制も、途方もない注文もなく、まさしく民間の窯の天下となりました。過酷な労働と制約にあえいでいた陶工たちは、この思いもかけぬ開放にさぞ喜んだことでしょう。この時期の特徴としては、まさしく解放感から来る自由、天衣無縫さといえます。青花の絵付けもいたって気ままに、楽しんで描いた風情の山水、花鳥、人物が意匠の中心であり、その最もすぐれた作品は、康煕帝の時代に集中しました。染付や、芙蓉手、祥瑞、赤絵など、清代においてヨーロッパや日本の文化と影響し合い、最高の頂点を極めたのでした。その後、景徳鎮の五彩の磁器は、近代中国陶磁の代表的な作品となり、脈々として今日まで作り続けられています。