「ロイヤル・クラウン・ダービー」の歴史は1750年ごろに始まりました。
1748年にアンドリュー・プランシェが最初の磁器工場をダービーに設立し、1770年までには当時有名な「チェルシーチャイナワークス」と、「ボウモールド」(鋳型の会社)を買収し、その結果それらの会社で働いていた何人かの熟練した優秀な職人を得ることに成功しました。彼らが作る精工で優雅な磁器は、ヨーロッパで初めて磁器生成に成功したマイセンにも例えられ“第2のドレスデン磁器”と称されました。1773年にロンドンにショールームをオープンさせ、ロイヤル・クラウン・ダービー磁器の名声はさらに広まりました。
1775年にジョージ3世は、ロイヤル・クラウン・ダービーの優秀さを認め、バックスタンプに王冠のマークを入れることが出来る名誉を与えました。そして、その約100年後の1890年には、ビクトリア女王によって王室御用達の称号を与えられ、更には会社名にロイヤルを冠する承認も与えました。
1786年、ロイヤル・クラウン・ダービー磁器の名声はさらに高まることになります。
シェイプ・釉薬・装飾で大きな開発がなされ、才能あるアーティストのグループが形成されました。形はより大きく、装飾は豪華になり、多くの豊かでエレガントな作品はこの時代に作り出されました。現代まで続く人気のパターンであるイマリなどが特に有名です。その後、1877年にはダービー地区のオスマストン通りに新しい工場が建てられ、ロイヤル・クラウン・ダービーにとっての新しい時代が幕を開け、新しいシェイプと技術が伝統的なスタイルに加えられました。
壮麗で豪華な色彩と、眩いばかりの輝き「オールド・イマリ」
伊万里は17世紀にはじまったヨーロッパへの輸出の際に、輸出された日本の港の名をとってつけられた磁器のスタイルです。それはカオリンの豊富な有田で作られており“ジャパンウェア”とも呼ばれました。
この“オールドイマリ”は、当時のカラフルな日本の織物からデザインのアイデアが採られました。青色の下絵に赤みがかったオレンジ、鮮やかなゴールドの3色が、最も良く使われた伊万里のパターンでした。この3色の人気がヨーロッパで無数のイミテーションを生み出し、ドイツのマイセンとイングランドのスポード等が自由に伊万里をコピーしました。
その後、日本の伊万里焼きが輸出から撤退すると、より多くの陶器工場が伊万里の製作に取り組み、その中でも特に力を入れたのが、今日ロイヤル・クラウン・ダービーとして知られるダービー社でした。ダービー社は多くのパターンと装飾で、プレート、ティーカップソーサーだけでなく、ショウガ入れまで作り出しました。金色は22カラットゴールドを使用しており、凝った縁取りと金メッキのような装飾はダービー・イマリの特徴です。