端午の節句と五月人形

5月5日は「端午の節句」

5月5日は「こどもの日」として国民の祝日となっていると同時に、端午の節句をお祝いする日です。元々“端午”とは毎月の初めの牛の日のことを意味していました。端午の端は“物のはし”、つまり始まりを表す言葉であり、午が「ご」と読むことと数字の五の音が同じということから、毎月の5日が端午の日とされるようになり、その中で数字が重なる5月5日を「端午の節句(節目の意味)」と呼ぶようになりました。同じように奇数の月と日が重なる3月3日(ひな祭り)、7月7日(七夕)、9月9日(重陽、菊の節句)も節句とされています。

リヤドロ 菖蒲(1点) 01012543

リヤドロ 菖蒲

紀元前の中国では5月は悪月とされ、薬草を採って悪い気を払う行事がありました。自然災害や病気などは魔物(まもの)の仕業だと考えられており、香りの強い葵や菖蒲には魔除けの力があると信じられていたからです。日本でも奈良時代以前より5月5日には薬草を摘み、災いを受けないように祈る風習がありました。また、平安時代の宮中でも菖蒲を髪飾りにした人々が宮廷に集い、天皇から薬玉(薬草、香草を丸く固めて飾りをつけたもの)を賜りました。よもぎを家の軒(のき)に吊るしたり、菖蒲を入れて入浴するのも、災いから身を守ろうとしていた事に由来します。

鎌倉時代の武家社会が成立したころから、武士が戦いの前に自身の身の安全を祈願して神社に参拝し、鎧や兜を奉納するようになります。戦の際に鎧兜で「身を護る」という行為が、時間の経過とともに病や怪我、事故から「身を守る」という意味へと変わっていきました。また、“菖蒲”が武道、武勇を重んじる「尚武(しょうぶ)」という言葉にかけて、武士を尊重する「尚武の節句」という意味も持つようになり、戦いから身を守る「兜」や「鎧」を飾ることは、武家社会に生まれた跡継ぎの男の子の健やかな成長と一族の繁栄を願う行事へと発展していったのです。

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重厚な鎧兜とあどけない表情、立ち居姿はそのままに、豪華さと繊細さがさらに加わった堂々たる「若武者」。黒いポーセリンに銀彩が施され、力強く男性的なコントラストが魅力的な作品です。洗練された装飾の甲冑や、愛らしい表情が目を惹きます。現代の生活様式にマッチしたモダンな雰囲気と、リヤドロ創業以来のブランド哲学である、普遍的価値を体現した渾身の力作となっています。商品詳細ページへ≫

江戸時代には、徳川幕府の重要な式日として5月5日が定められ、大名や旗本が正式な服装で江戸城に参上し、将軍をあがめ、お祝いをするようになりました。将軍に男の子が生まれると、玄関前に馬印(うましるし)やのぼりを立ててお祝いするようになり、この風習が今の「こいのぼり」の基になっています。のぼりや鎧兜の飾り物は当初、天の神様の目印となるように屋外に飾っていましたが、江戸時代中期以降は小型化したものを屋内に飾るようになります。

その後、江戸元禄と呼ばれるような平和の世が続いたこともあり、いつしか武家のみならず平民の家庭においても端午の節句が行われるようになり、家を継ぐことになる男の子の誕生と成長を祝うための節句として定着していきました。鎧兜は身を守る大切な道具であり、日本伝統の武士道精神を象徴する宝物、そして英雄豪傑をかたどった武者人形は、男の子の成長を見守ってくれる、守り神のような存在です。五月人形はお子様やお孫様の誕生をこころから喜び、健やかな成長と将来の幸せを願う家族の願いが込められているのです。

節句人形と「金太郎」

リヤドロ 金太郎 08687

金太郎は「金」の文字が入った赤い腹掛けだけを身につけていたと言われていますが、リヤドロは金太郎に日本の伝統的な刺繍を思わせる美しい装飾を施した羽織を着せています。商品詳細ページへ≫

武者人形は桃太郎など伝説の英雄や物語の主人公などをモチーフに、強く逞しくという男の子の成長への願いを形にしています。すっきりとした精悍な表情に、精緻で荘厳な衣裳を組み合わせて伝統を重んじる気風を体現しています。

節句人形には様々な種類がありますが、「金太郎」もそのうちのひとつです。坂田金時という実在の人物がモデルとなったこの物語は、足柄山(現在の静岡県駿東郡)に住んでいる金太郎という子どもが、山に住む熊や鹿や馬や牛とともに、相撲をとったり綱引きをして遊んでいたところから始まります。鉞をかつぎ、熊に乗っていた金太郎は、谷のところで立ち往生していた動物たちを見つけます。橋がないため谷の向こう側に渡ることができない彼らの為に、近くにあった大木を体当たりで折り、その木を橋として谷にかけたことで、動物たちは谷を渡ることができます。

この様子を近くで見ていたのが、たまたま通りかかった平安時代の武将・源頼光です。金太郎を気に入った頼光は、家来として都に連れていきます。坂田金時と改名した金太郎は、頼光の側近である四天王の一人となり大活躍したそうですが、元気で力強く、大変心優しいこの話のイメージが定着し、五月人形のモデルとして金太郎が用いられるようになりました。