アール・ヌーヴォー期に「モダンジュエリーの先駆者」と呼ばれるほどに宝飾工芸界で高い評価を得ていたルネ・ラリックが、それまでの経歴を棄てガラス工芸へと転向したのは彼が50歳のころ。斬新なデザインを掲げ、宝飾史上の変革者と称賛された彼の美しいジュエリーデザインの数々は、当時のフランスのみならず今なお高い人気を誇ります。
しかし一方で、その彼が50歳という年齢にさしかかるころから試みたガラス造形家としての素晴らしい仕事の数々が、結果として彼をデザイナーとしてではなくアール・デコ期を代表する芸術家として後世に名を残すに至ったと言えるのではないでしょうか。
ガラスは光の化身
ラリックにとってガラスは光の化身でした。始まりは宝飾工芸における七宝(エナメル)です。彼は自身がつくるジュエリーが、女性とともに動き、ともに光を浴びてこそ輝くことを知っていたからです。
彼の目指す表現世界を作る上で、自由自在に色を変え、変幻自在に形を変えるガラスは最高の素材でありました。ガラス工芸への転向後もそれまでと同じく自然や女性をモチーフとしながらも、宝飾工芸時代とは異なり多色使いを避けた作品作りが行われましたが、これは彼がガラスの持つ明晰さと透明性、ガラスを通して輝く光の美しさを求め続けたことにあります。
パリ・シャポン通りの商人の息子として生まれ、16歳の時に宝飾細工師に弟子入りしたことをきっかけに、80歳の時にリウマチが悪化しデッサンが難しくなるまで一貫して光を求め続け、創作人生を歩み続けたラリック。彼の生涯と作品をご紹介します。
ラリックのタイムライン
初めてデッサンの手ほどきを受け、美術の才能に目覚める
小規模ながらガラス窯をも備えており、七宝細工を駆使した宝飾品の創作に注力したとされる
宝石部門のグランプリを受賞
ガレ、ドーム、ティファニーらと共に参加し、脚付き杯などの作品を出品
この時期にガラス製作に専心することを決意
工芸ガラス・メーカーとしての基礎を確立
「イロンデル」とはフランス語でツバメを意味します。ツバメは家に幸せを運ぶと言われており、ラリックは好んでモチーフに取りあげています。
ツバメたちは、クリスタルの光を受け、気品あふれる姿で表現されています。
ギリシア神話に登場するバッカス神の祝祭をつかさどる巫女たちが深いレリーフになった、ルネ・ラリックの代表作です。
ロシアの女性の名をイメージしてできたデザイン。木々に集う小鳥たちが表現されています。
フランスロワール地方の街「ブルゴイユ」にあやかり命名されたこのシリーズ。
1930年代には「アールデコ」と呼ばれる機能主義が浸透しており、写実的な装飾がすたれ抽象的なデザインが広がっていました。ステムを省き三角形モチーフを繰り返した簡素なデザインは、アールデコの特徴を表現しています。
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2羽の小鳥が寄り添うモチーフは、自然を愛したラリックの優しさが表現されています。
クレールフォンテーヌ 香水瓶
クレールフォンテーヌとは、パリ郊外にあるルネ・ラリックの工房のあった場所。
ストッパーにデザインされているスズランは、5月の森で摘まれる幸運の花です。
ドゥ・コロンブ リングトレイ
平和の象徴である鳩が、優しく口づけをかわすリングトレイ。鳩の尾にもアクセサリーがかけられるようになっています。
ダリア ボックス
ラリック特有のフロステッド加工を施したボックスは、ガラスの冷たさを感じさせず、ダリアの花びらの柔らかさと繊細さが伝わります。
ダリアの花も、ラリックがよく好んでモチーフとして使用しています。
大型のカボション・モチーフを全体にあしらった花器です。クリスタル部分から覗く世界は、神秘的な無限な世界が広がっています。
「ふたつの花」と名付けられた名作です。
香水を入れると花びらの部分だけに香水が行きわたり、色鮮やかに花開くしかけがあります。
工場の操業が停止され、アルザスの第二工場はドイツ軍に接収される
四月、連合軍により第二工場が解放される
1945年5月5日死去