世界をリードするテーブルウェアのトップブランド「ウェッジウッド(WEDGWOOD)」
ウェッジウッドはジョサイア・ウェッジウッドによって創設されました。
精緻なレリーフで有名な『ジャスパーウェア』や『クィーンズウェア』、『ブラックバサルト』などの名作が誕生した後、艶やかな白さと透明感に堅牢性をも兼ね備えた素地『ファインボーンチャイナ』を世に送り出します。
きめ細かく輝く素地に鮮やかに映える絵柄や、洗練されたシェイプは実に多種多様で、その全て製品に伝統のクラフトマンシップが息づいています。「質の高いテーブルウェアをより多くの人に」というジョサイアのスピリットが創業当時から変わらずに受け継がれ、現在も多くの人々を魅了し世界の食卓を彩っています。
ウェッジウッドの歴史
“英国陶工の父”ジョサイア・ウェッジウッド
1739年、父の死によって家業は長男トーマスが継ぎ、学校を中退したウェッジウッドは兄のもとで本格的な修行を5年間積みます。 22歳のときに長男と別れ、ハリソン・アンド・オルデンス窯に共同経営者として参画しますが、 1754年進歩的な陶工として知られていたフェントン・ヴィヴィアン窯のトーマス・ウィールドンと共同経営することになりました。
そして、1759年29歳のジョサイアはバーズレムにアイビーハウス工場を借り独立しました。それがウェッジウッドの始まりです。ジョサイアは、1795年1月3日にこの世を去りましたが、その精神は今日に至るまで脈々とウェッジウッドの中に流れつづけています。
教会の前にあった為そう呼ばれたといわれています。
ウェッジウッド リミテッドエディション プラーク
代表シリーズ「ジャスパー」の誕生
1774年、ジョサイアは新しい炻器(せっき)=ジャスパーウェアを完成させました。
ジャスパー(碧玉)とは、石英の一種のことです。緑、黄、青、褐色などの美しい色彩のバリエーションがある鉱物で、ジャスパーの商品名はそこから取られました。 ジャスパーウェアの完成ジョサイアの悲願であり、日夜繰り返された実験、4年に及ぶ1万回ものトライアルの結晶でもあります。
ジョサイアはこの完成を、ロンドンで働く共同経営者「トーマス・ベントレー(Thomas Bentley)」に2通の手紙によって伝えました。わざわざ2通にわけた理由は、製法方法が外部に漏れるのを恐れた為と言われています。 そして、その技法は今現在も変わることなく受け継がれています。
また、ジャスパーで忘れてならないのが「カメオ」です。ジャスパーは、ブルーやセージグリーン、ライラックなど、素材は同じでも地色を出すために加える顔料によって収縮率が微妙に異なります。 このため、薄い「カメオ」を合体させるのは困難でした。カメオは、まず石膏でデザインを起こし、それから陶器で製作されますが、一度焼成すると粘土の状態の時の約15%縮みます。そこでジョサイアは、まず大きな下絵を作り必要によって何回にも分けて焼成しながら、縮小させていく方法を採りました。
カメオのモチーフには、古代の装飾模様や図柄が最も好まれました。その後、「ジャスパー=ウェッジウッド」のイメージを定着させることに成功したのでした。
バックスタンプにも使われている「ポートランドの壷」
ウェッジウッド ジャスパー ブラック
ポートランドベース
オリジナルのポートランドの壷はガラスであり、色彩も濃いブルーです。この壺をジャスパーの色彩で表現したり、白いレリーフとの合体するなどの作業は、ジョサイアの想像をはるかに超えるものでした。特に苦労したのはガラスの質感をどうだすかでした。
ジョサイアはこの壷の再現に没頭するあまり、1788年精神的・肉体的に消耗してしまいロンドンの医者にかかります。 医者は彼に、すぐに休養を取ることをすすめましたが、「壷が完成するまでは休めない」と断ったそうです。
1790年ついにジャスパーの壷は完成しましたが、その時ジョサイアは60歳でした。完成した深いブルーのジャスパーは今も「ポートランド・ブルー」と呼ばれ、親しまれています。
オリジナルのポートランドの壷は、紀元前30年~20年頃のアウグストゥス帝時代の初期にガラスの工芸の中心地であったアレクサンドリアで学んだ名匠がローマで作成したといわれています。 現在は、大英博物館に展示されています。