こんにちは。ル・ノーブル亭主です。世界には無数の窯がありますが、窯の数だけ歴史があります。特にヨーロッパの窯は歴史を始め、アジアとの貿易やお茶の文化など、さまざまな要素を密接に関わりながら発展を続けてきました。
今回から数回にわたっては、オーストリアのウィーン磁器工房(現在のアウガルテン磁器工房)のお話しをさせていただきます。オーストリアといえばハプスブルク家。そのハプスブルク家が支えた工房がウィーン磁器工房アウガルテンです。
写真は、現在アウガルテン工房があるアウガルテン宮殿です。お隣にはかの有名なウィーン少年合唱団の寄宿舎があるため、日中美しい歌声が聞こえてくるという素晴らしい環境。
さて、マ イセンとほぼ同時期に設立されたアウガルテンですが、その歴史はマイセンの発展とも密接に関連しています。日本では一般的にあまり知られていませんが、熱 烈なファンの多い工房でもあります。そして実はル・ノーブルが数年前より日本総代理店を務めているブランドでもあります。
【テキスト版】ル・ノーブル亭主の徒然なるままに
ーハプスブルク家とお茶碗と砂糖菓子 Vol.1-
「亭主さま、前回は欧米発の陶磁器作りに成功したマイセン磁器工房(以下マイセン工房)と職人たちのお話しでした。今回はどんなお話しを?」
「マイセン工房に追いつけ追い越せとオーストリアで窯を開き、2番目に磁器作りに成功、今も高評価を受けているウィーン磁器工房と、その工房を支えた名門ハプスブルク家の話をしよう。17世紀の欧米では、砂糖や香辛料とともにココアやコーヒー、紅茶、そして中国や日本の磁器が中南米やアジアから運ばれてきた。体に良い効能があるという珍しい食材や、白くて薄くて軽くて美しい東洋の磁器はとても高価だったが、貴族たちは虜になっていったんや。
朝目覚めて、昼食後、夜寝る前にと新3大飲料に佐藤をたっぷり入れ、東洋茶碗に注ぎ楽しんだ。コーヒー人気に伴い、「コーヒーの家」「カフェ」が欧米各国で開店。ウィーンでは、1685年にカフェ1号店がオープン。そこは、コーヒーを飲むだけではなく社交の場として、情報交換や討論の場として上流階級にも広がっていった。
しかし、貴族たちの欲望は、アジアなどの植民地化を進め、原住民や黒人奴隷を過酷な条件で働かせることにつながっていったんや。
一方、東洋磁器は、各国が自国でも製造することを夢み、競って錬金術師などに開発させた。やがてザクセン候国王の命令で開発をしていた錬金術師ベドガーが、白磁の焼成に成功。マイセン工房が発展を遂げたのはご存じの通り。ここからは、また次回に」
【編集・デザイン:大山崎リトルプレイス 大山崎ツム・グ・ハグ 2016年 Vol.1】
【大 山崎リトルプレイスについて】私たちノーブルトレーダース(株)の本社は京都にあり、大山崎町は会社設立の原点の場所でもあります。その町で活動をされて いる大山崎リトルプレイスさん。町や生活に関する情報をはじめ、近隣地域で活動をしている会社や人々を取材され「大山崎ツム・グ・ハグ」というフリーペー パーを毎月発行されています。その中で多くの人々に陶磁器の魅力を知っていただきたいと始まったのが窯にまつわるコラム「ル・ノーブル亭主の徒然なるまま に」です。