ジノリ1735 / GINORI1735 (リチャードジノリ / RICHARD GINORI)

ジノリ1735のはじまり

1700年ごろから、ヨーロッパにおいて本格的に磁器は作り始められましたが、実はそれより100年以上前にフィレンツェで磁器焼成の試みは行われていました。

時のトスカーナ大公は、1575年にレバント地方から陶工を招きます。そしてお気に入りのフィレンツェ生まれの宮廷建築家ブオンタレンティに磁器製造を命じました。そうして生まれたのが「メディチ磁器」と呼ばれる青みがかった磁器です。しかし、この磁器はカオリンが含まれておらず、またマイセンのような硬質磁器ではなかったため、磁器として歴史の舞台に姿を現すことはありませんでした。メ ディチ磁器とよばれたこの磁器は、1587年にフランチェスコ1世が没すると製作はほとんど行われず現存しているものは60点ほどしか知られていません。

第一期(1735~1757) 『ドッチァ窯創設』

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 カルロ・ジノリ公爵(1702~1758)

 

そして1735年。トスカーナ大公国の要職にあったカルロ・ジノリ侯爵。彼は、時代の流れを巧みに感知することに長けた人物でした。ジノリ侯爵は鉱物学にも造詣が深かったため、自らも原料土を発掘し研究を重ねて、イタリア初のドッチァ窯を誕生させました。

開窯当初には1点制作の作品が多くみられます。初期は熟練した職人も少なかったため、型紙を使った一色のみ装飾がほとんどでした。しかしまもなくすると、多色による花房や花束、バラ模様などの見事な作品が作られるようになります。「レッドコック(赤い鶏)」や、「グランデューカ」はその代表作で、東洋への憧れが色濃く残っているシリーズともいえます。フィレンツェの田園風景にインスピレーションを得た花と果物の模様や、神話をテーマにしたものも、この第一期に作られました。

第二期(1758~1791)『革新的な技術開発』

カルロ・レオポルト

52歳の若さで他界したカルロの後を継いだのは、長男のロレンツォでした。ロレンツォは新工場を建設、そして土の改善によってさらに肌の白い磁器を作ることに成功します。その技術の向上により、各国の君主や名家のための食卓セットや置物、特に小物類の種類が豊富になりました。この時代、いまなお根強い人気のあるジノリを代表する「イタリアンフルーツ」や、「アンティックローズ」のパターンが誕生しました。

第三期(1792~1837) 『新古典主義インペロスタイルの確立』

この時代、フィレンツェに最初の直営店(1801年)ができます。店舗ができたことにより、一般の人々もジノリ磁器を手にすることが出来るようになりました。時の侯爵カルロ・レオポルドはルネサンス絵画に深い関心を持ち、当時流行していたネオクラシック様式を製品に積極的に取り入れるように命じます。その代表的な作品の1つが、直線的なフォルムが特徴の「インペロシェイプ」です

第四期(1838~1878) 『工業化の推進』

ロレンツォ・ジノリ

ロレンツォ2世・ジノリ公爵

ロレンツォ2世の統治するこの時代、ドッチァ窯は1300人の職工と、11基の磁器窯を持つまでになります。この産業発展の時期、ドッチァ窯は世界各地の展示会などで他のヨーロッパの名窯と優位を競い、高い評価を得ます。1850年に開催された世界初の万博で「メディチのベース」と称される大変美しく立派な作品が出品され、話題を呼びました。また、この時代、サヴォイア家がイタリア半島統一を果たし、1861年に「イタリア王国」が誕生します。

第五期(1879~1896) 『経営拡大 イタリア王室御用達』

この時期、ドッチァ工場は燃料に電気を使用する窯を16基に増やします。その結果、生産高が非常に増大し、より幅広い作品が誕生しはじめます。1880年ごろに、イタリア2代目の国王ウンベルト1世からの注文で「森の果実」をモチーフにしたシリーズの作品が誕生します。この森の果実シリーズは、ジノリの中でも根強い人気のあるシリーズの1つです。

そしてこの時期、ジノリはミラノの企業家アウグスト・リチャードに工場を譲渡するという大きな転換期を迎えます。

1800年代以降 ヨーロッパを魅了した 『アールヌーボー・アールデコ』

アールヌーボーの時代

ヨーロッパで一世風靡した芸術運動「アールヌーボー(=新しい芸術)」はイタリアでは「リバティ・スタイル」と呼ばれています。その意味は自由、開放です。流れるような曲線や、自然の植物などがモチーフとなった女性的なラインが大きな特徴です。

アールデコの時代

イタリア建築会の巨匠『ジオ・ポンティ』をアートディレクターとして起用。伝統的なテーブルウェアに加え、時代の変化に伴い新しい需要が生まれ、磁器製品の分野は広がりました。 20世紀前半のジノリを代表するのは、アートディレクター、ジオ・ポンティと陶工たちの共同作業によって作られた作品群です。 全く他に類を見ないシンプルで洗練された美しさは、アールデコ全盛期における博覧会などの金賞に輝き、リチャード ジノリのイメージを飛躍的に高めました。

近代~

1950年 現代のジノリ ドッチァ工場 落成
1965年 ジノリ ドッチァ美術館 落成
2020年 リチャードジノリは「ジノリ1735」へブランド名称を変更